2019年8月6日火曜日

スピーカー欲

誕生日に家族にスピーカーを買っていただいた。
MackieのCR4。

非常に嬉しい。
もう一年くらい欲しくて欲しくて、よく検索しては眺めて、どこかに安く出ていないかチェックしていた。
mackieのHPにアウトレットものを放出するとのニュースが出ていて、その数日後にサウンドハウスのアウトレットセールに出ていた。最後の1台だった。丁度そのタイミングで妻から誕生日プレゼント好きなものを選んでよいよと言っていただいた。全てがドンピシャのタイミングだった。

しかし、というか、予想通りというか、子供のこと家のことで忙しくて音を鳴らす時間がない。
でもいい。家にはCR4をセッティングしてある、いつでも鳴らせるぜ!という事実が喜びである。一週間に10分程度は鳴らせるし。


今回のことでモニタースピーカーのことを調べまくっていたら、すっかり興味が湧いて色々と他にも欲しくなってしまった。もちろん1発何万、何十万なんてものは買えないので、低価格で機能と評判が良いペアものを調べてはウキウキしている。
会社のデスクに置いてしまおうか。
皆が帰った後にひとりで少し残業してるとき、朝早くひとりきりの時間の時、
ほんの10分でも20分でも良い音で音楽を鳴らして心を潤したい。

メルカリやヤフオクやら探して、今のところめぼしいのが

ProGroup MS-210J 



https://www.mh-friends.com/shop/index.cgi?No=634735&



MA-5A



両方とも3Kほどで見つけた。

こんなものを買ってる場合ではないのにポチってしまいそうだ。

何日も眺めている。
危ない。非常に危ない。今夜がヤマだ。

2019年4月12日金曜日

身の丈

社会人として、とてもしっかりした人である嫁さんと一緒になって、変わったこと。


髪の毛はボサボサにしない、

ヨレヨレの服は着ない、

歯医者にきちんと行く、

妥協せず良いとこに住む、

少しの危険も無くす、

保険にちゃんと入る、

お礼とお返しはきちんとする、

食べたいものを我慢せず食べる、

旅行先ではちゃんとしたとこに泊まる、

病院にはすぐに行く、

無くなりそうな日用品はすぐに大量に買う、

子供のために必要だと思ったものはすぐに買う

必要なものはケチらずに良いものを新品で買う、



結果、、、自分の口座の残高は140円になりました。


2019年4月1日月曜日

記憶 母の味

前回のブログとかぶるのだけど、改めて。


妻と一緒になって初めて迎えた自分の誕生日、何が食べたいか聞かれたので焼きそばと答えた。

妻は混乱していた。

誕生日なのに焼きそば???


思い出しながら説明した。

自分がおんぎゃあと産まれて色々あって6歳の時に岩崎家は離婚解散売却となったわけだが(この話はまた別の機会に)

父と母どちらについていくか決めろ!と言われ、知らないおじさんと暮らすのは嫌なので父親についていくことにした。兄二人もそうしたし。

しかし息子3人を引き取ったものの、父は家を売ったお金でろくに働かず、毎日飲み歩いていた。

夜、父が飲みに出ていると食べるものがないので、兄弟で相談して近くでスナックを経営する母親のところに電話して、常連のお客さんに定食屋やってるおじさんがいたのでそこの出前を持ってきてもらったり、それぞれでなんとかしたりしていた。

自分は直接そのスナックに行き、裏口から入って母にご飯を作ってもらい、着替えやお客さんの忘れ物でごった返すバックルームで、オッサン達の下手なカラオケを聞きながら食べていることが多かった。(この辺の話もまた別の機会に書きたい)

そんな時に母がよく作ってくれたのが、焼きそばだった。

店の仕事の合間に、スナックの厨房で簡単にサッと作るには適していたのだろう。

油と肉たっぷりのおおざっぱな焼きそば。

6歳まで一緒に暮らしてはいたが、その頃の食事の記憶はない。むしろその後のスナックでの焼きそばを強烈に覚えている。

母の味、焼きそばである。


この話をしたら、妻と義母から、かわいそう。。。と言われてしまった。


自分はめっちゃ良い話のつもりだったのに!笑



2019年3月6日水曜日

記憶 生い立ち(ざっくり)

昭和な世代にはあるあるな、いわゆる複雑な家庭。


両親が仲良くしているのを見たことがない。

ずっと怒鳴りあっていた。

喧嘩の最後には必ず「子供はどうすんだ!」

お荷物だった。

6歳の時、離婚と引っ越しと家の売却が決まった。

どちらも「引き取る」と言わなかった。どっちに付いてくるか自分で決めろと言われた。

父親についていった。知らないおじさんと住むのは嫌だったし、兄たちも父親を選んだから。

貧困でネグレクトな生活が始まった。

離婚前から自分は、今で言うパニック障害でADHD で自閉症だった。学校が怖くてランドセルを投げ捨てて一日中逃げ回ったりした。奇行ばかりしていた。会話もろくにできなかった。自殺未遂も何回もした。離婚、引っ越し後もひどかった。周りに迷惑ばかりかけてしまった。

心のなかではいつもこんなことではいけない、普通の人になりたいと思っていた。


父親は毎晩飲みに出かけていた。何日も帰ってこない日もあった。

そんなときは割と近くに住む母親の経営するスナックに裏口から忍び込み、焼きそばを作ってもらって控え室で食べた。油ベタベタな焼きそばを下手くそでスケベなオッサン達の歌を聞きながら、衣装と忘れ物でごちゃごちゃな狭い控え室で食べた。

これがいわゆる母の味

ステージデビューをしたのもこの頃。

音楽は好きだった。カウントダウンTV を見て、真ん中の兄とあれがいい、これがいい、と話していた。兄が万引きしてきたCD を聞いたりレンタル屋のレンタル落ちCDを買って歌謡曲を聞いたりしてた。マッキーと徳永英明が大好きだった。アルバムの曲も全部覚えて歌えた。

放課後は主にゲーセンにいた。北習志野の商店街の二階、高根木戸のジャスコ、グリーンハイツの文房具屋の前、酒屋の前、スーパーの前、いたるところに置いてあって流行していた格闘ゲームばかりやっていた。

家でもゲームばかりしていた。


歯を磨く習慣も知らなかったし、着替えもろくにしなかったし、普通の家庭ではご飯の時にお皿がいっぱい出てくる事も知らなかった。電話が止まって連絡網を受けられない事もあった。


今ざっと思い出したことを書き留めてみた。

まだまだ色々あった気がする。

2019年3月2日土曜日

記憶 ステージデビュー

ステージデビューは7歳か8歳か。


母の経営するスナックのステージで銭形平次を歌った。

声変わり前で、ハイトーンボイスで高らかに歌い上げた。

大声援に包まれて、おひねりが飛び交った。

ウケにウケた。

それ以来ことある度に「ママの息子歌えや~」とリクエストされてはステージに立ち、おひねりを頂いた。

ロマンスの神様も歌った。

面白いようにハイトーンが出て、誉められまくった。

人生で初めて調子に乗ったと思う。

しかしブームは過ぎ去る。


思えばあの経験が人生を狂わせたのかもしれない笑

2018年12月26日水曜日

記憶 高校受験

中学2年生まで成績はよかったのだけど、ロックな音楽に目覚めてからは勉強に興味がなくなった。ひたすら音楽聞いて雑誌を読みゲームしてた。
東京の90sカルチャーにとても憧れた。ライブに行きたかったがお金がなく、悶々とした。
恵比寿のミルク、新宿リキッドルーム、日比谷野音、新宿ロフト、赤坂BLITZ、BLANKEY JET CITY、TOKYO No.1 SOUL SET、スチャダラパー、小沢健二、Hi-STANDARD、BRAHMAN、バックドロップボム、ハスキングビー、兄や従兄弟の影響が強かった。

また家庭環境も良くなかったので、夜遊びなんかもするようになった。
友達と夜遅くまで公園で喋ったり、溜まり場の家で64やったりプレステやったり。学校の成績はかつての好成績とは言えず。
高校受験が近づいたある日、珍しく家にいた父親と話した。

父親 高校どうする?
自分 行きたいよ。せめて高卒欲しいし。
父親 そうだよな。でも高校通わせる金ないわ。
自分 じゃあ定時制だね。働きながら通うよ。
父親 まあでもとりあえず全日制の公立は受けなよ。
自分 金無いのに、受かったらどうすんのさ
父親 んーーその時考えよう。
自分 まあじゃあとりあえず受けて落ちたら定時制ってことで。

この会話をして考えた。この先やりたいことや学びたいことが見つかったとしても大学も専門も無理だなーと。
ならば好きなように生きて破綻したらそこで適当に人生終わらせる感じかなーと。この時自分の人生の舵取りがはっきりしたような気がする。

もし受かったとして無理に父親が学費払うとなったとして、そのうちお前が払えとか言われることになって。キツイよなー。学費安い学校ってあるのか?市立なら少し安いな。とか色々調べた。
あと、担任が強く進めるし成績もそんな感じだったので市立船橋普通科を受けることにした。

それから受験までこれまで通り一切勉強しなかった。
遊び倒した。どうせ受かっても通えないしなーと腐っていた。同じように家庭環境が特殊な連中とつるんで朝まで遊んだりしてた。64のゴールデンアイが面白すぎた。

受験の2日前に、父親がさすがにそんなに遊んでて大丈夫か?と声を掛けてきた。
通わせる金は無いとか言っておいてなんだそれはーーとは思ったけど。まあ、そりゃそうか。と遊ぶのを止めて2日間勉強した。
で、市立船橋普通科に受かった。偏差値は当時真ん中くらいかな?一緒に受けた『落ちたら定時制だね仲間』は落ちてた。気まずかった。

自分 受かっちゃったけど どうするの?
父親 なにー なんとかするからとりあえず通え
自分 ふーん。わかった。

いつもの溜まり場で高校受かったぞーと言ったら周りの仲間は誰も高校に行かないと。自分だけ普通の世界に進むのかーと寂しかった。ここの仲間はみんな複雑な環境で生きてきた人達だから感性が尖ってて一緒にいて本当に楽しかった。
でもお前もいつまで通うかもわからんだろーー!どうせすぐ辞めるんだろー!髪でも染めて気合い入れて入学式行ってこい!ってことになり茶色に染めた。みんなでゲラゲラ笑って先のことなんか何も考えてなかった。本当に楽しかった。

ということで市立船橋というスポーツ真面目高校の入学式に茶髪で来た人間など自分以外にひとりもおらず、たいそう目立ってしまった。そのことでまた一癖ある高校生活が始まった。
面白い記憶が沢山蘇ったらまたつづきをまとめて書きましょう。


さて、学費はというと、結局自分が払うようなことにはならず父が払ってくれた。
お金はどうしたのか。
後でわかったのだけど、当時の父の恋人(人の人妻)が払ってくれたそうだ。
ありがとうございます。(複雑)